えじの自由帳

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日記

人の悪口を言うのは、とても怖い。

2017年が始まりましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

僕は新年から飲み会が6連続くらいであって、現在卒論の進捗の無さで死にそうです。

僕は人と話すのが好きですし、たくさん聞いたり喋ったりしているうちに自分の考えがまとまっていくタイプの人間なので、飲み会という場に参加するのが楽しみの1つです。

研究室の忘年会では「僕は働きたくない人間が働かなくて済む社会を作りたいんです!」などとウィスキー片手に演説をぶちかましていたらしく(記憶はおぼろげですが演説は先輩が話を盛っているだけだと信じてますが)、僕という人間が飲み会を楽しんでいることが伝われば幸いです。

飲み会で盛り上がる話題のひとつに悪口があります。

「あいつは〜〜だからダメだよな」「〜〜ムカつく」などなど。

その場にいない人のことを話すと盛り上がるのは分からないでもありません。特にその場の人たちでコンセンサスが取れているなら。日頃から鬱憤が溜まっているのでしょうし、飲み会でテンションも上がってぶちまけてしまうのも理解できなくはありません。

僕は、そういう場で悪口を「聞く」のは耐えられますし、軽く笑って流すこともできます。でも、その場にいない人の悪口を「言う」って結構怖い話だと思うんですよね。100人いれば13人くらい同意してくれる人がいると思うんですけど。

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記事下

味方と敵を区別するということ

その場にいない人のことを悪しざまに言うという行為は、その場にいる人を「味方」、話題の人を「敵」と区別することに他なりません。

人間は自分の見たいように見る生き物なので、ひとたび敵だと認識した人にはすべて嫌悪感を感じます。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のことわざが示すとおりです。

すると、本来気にも留めない些細なことにも気づき、怒り、溜まったフラストレーションを飲み会で放出する、という無限ループに陥ります。

最初は「自分が直接被害を受けた行動」に怒っていたはずが、いつのまにか「自分とは特に関係ないけどアイツがやってたこと」に怒りはじめ、最終的には「そもそも顔が気に食わない」にまで行き着きます。

それって、幸せじゃないじゃん?

わざわざ守備範囲広くして怒ってあげる必要なんてないじゃん?

せめて、行動に憤りたい

とはいえ、聖人君子でもない限り悪口をいいたくなるタイミングはあるでしょう。

それでも、容姿など本人でどうしようもない点を悪し様に言うのは控えたいものです。

できれば、人を褒める人でありたい

対して、人を褒めるのは誰も損をしないウルトラハッピーな行為です。

さすがにこれだけだとお花畑が過ぎるので、もうちょっとリアルな説明に直すと、「○○さんがこの間の飲み会でお前を褒めてたよ」って言われたら結構嬉しいじゃないですか。もうそれ好きになっちゃうでしょ。ちなみに僕はなります。ぜひ陰で褒めてください。

こういう美学みたいな話って口に出したり文章にしたりするとマジで格好悪いんで絶対やらないようにしようって思ってたんですけど、最近格好悪くてもいいかなって思い始めたんで書いちゃいました。

新年なので許してください。

卒論を提出するまで、お酒は(それなりに)控えたいと思います。ではでは。

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